千葉雅也著「デッドライン」を読んで。芥川賞ノミネート。新進気鋭の哲学者のデビュー作。ゲイであることと哲学、論文の締め切りに向かい交錯する人間と思考。

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先日、芥川賞・直木賞が発表された。
とは言っても、実のところ受賞作はまだ読んでいない。

今回語りたいのは、芥川賞の候補作であった千葉雅也著デッドライン」である。
惜しくも賞は逃したものの、新進気鋭の哲学者のデビュー小説ということで、界隈ではちょっとした話題だったらしい。

お世話になっている演出家の先生に「読んだ?」と聞かれ、Amazonで即購入。
(この方の進める物には間違いがないので迷いなく)

「読んだ?」と聞かれた理由はすぐに分かった。

主人公である「僕」がゲイである。
(もちろんそれだけの単純な理屈で勧められたわけではなく、同性愛者を取り扱った近年の作品の中で「これは」というチョイスであろう)

「僕」は哲学を専攻する大学院生で、修士論文の締め切りに向かいながら、ゲイであること、ゲイである自身の「肉体」と「精神」を哲学的に悩み思考し変化していく様子を、周囲の人間関係を通して描かれている・・・。

3時間ほどで(しっかり図ったわけではないが、深夜の勢いもあり)一気に読んでしまった感想としては
「久々に読書をした!」という感覚に浸かることができた、である。

物語の専門性「哲学」と「ゲイ文化」

主人公の専攻が哲学ということもあり、うっかり流し読みすると、思わず「なんのこっちゃ」になってしまいそうなので、自ずと丁寧に読もうという姿勢になり、それでありながらその全てを理解できなくても(しようとしても、無私な話なのだが)ここは所謂専門的な部分という理解で、大きな足止めを食らわず(とは言え、何度もページをさかのぼりはしたが)様は3時間で読んでしまうくらいのめりこむことができた。

「専門的な部分」とは例えば医療ドラマの手術のシーンで、最近こそ詳しく描かれるものの、外科医が何をしているか、手術室にいるほか大勢は何をしているのか、すべては分からないし分かる必要もない。
緊迫したシーンであり、成功した、ミスをしたが分かればよいが、だからといって、「分からないの部分」のディティールは省けない…

いわば冒頭のシーンもまさにそうなのである。
発展場で裸の男がすれ違う。ロッカーキーの位置がどうとか、すれ違う時手が触れたのがどうとか…
いわば「専門的な部分」であるし、知らない人にとってはほとんどが「分からない世界」である。
それを発展場やゲイバーの描写も、哲学同様すべてを理解できなくても読み進めれるし、必要な情報・世界観は感じ取れる、読者を置いていかず、かつディティールにもこだわっている…

哲学のディティールはどこまで描かれていたのか(疑わずともよいのだが)分からないが、ゲイ文化にとっては自分も一応『専門家』なので(笑)そこのディテールは保証したい。(何を偉そうに!)

ミステリーの様であり、漱石を彷彿

また、自分にとって読み進めやすかったのは、ミステリー感覚で読めたところであった。
人間関係を整理しつつ読み進め、論文の締め切りという着地点に向けて着実に時間軸が進行し、人間関係が読み手とともに主人公である「僕」つまりは探偵役と一緒に解きほぐれていく様子は正にミステリーの様。

最後に、これは自分の勝手な妄想なのだが、どことなく夏目漱石の「こゝろ」を彷彿させるのである。
いわずと知れた漱石の後期三部作の一つであり、上・中・下の3編構成になっている。

高校の教科書にも載ることが多い「下」は、上・中での語り手へ向けた先生の手紙であり、先生目線で物語が進む回顧録のようなものである。

まず「おや?」と思ったのは登場人物の名前である。
「デッドライン」では一人称が「僕」であり、ほかの人物は苗字や名前、漢字やカタカナを使い分けてはいたがそれぞれに名前があるにも関わらず、友人以上の関係性である人物に関しては”K”のイニシャルのみであったことだ。
他の人物に比べて、「僕」にとって重要な人物だから強調させたのかもしれないし、事実モチーフとなった人物がいて、本名の使用はもちろん、仮名をつけることもはばかられたのかもしれない。

ただやはり、自分は漱石の「こゝろ」に出てくる”K”を連想せずにはいられなかった。

漱石の哲学的な表現ももちろんあるのだが、主人公と”K”の関係性が気になった。

「下」で先生と”K”は同じ大学の同級生で友人関係にある。
先生は「奥さん」と「お嬢さん」のいる下宿先に”K”も呼び込む。
時が経ち、”K”のお嬢さんへの思いを知った先生は、”K”の告白より先にと、お嬢さんへ結婚の申し出(正確には母親である「奥さん」にだが)をする・・・。

という流れで、一見後(上・中)に既婚者である先生はストレート(異性愛者)の様に捉えることができるが、先生が嫉妬していたのは“K”ではなく、むしろ”K”に告白されそうになっていたお嬢さんにだったと読むこともできる

友人である“K”をお嬢さんに取られる(実際に申し込むのは“K”側の予定であったが)のは阻止した先生と”K”
対し、修士論文に悩んでいる「僕」と、その間に説明もなく彼女を作ってしまった”K”
結果こそ異なれど、重ねて見てしまったのは自分だけだろうか?

「先生」をホモセクシャル(もしくはソーシャルととらえる描写はほかにもあり、「上」の語り手である「私」が「先生」と初めて会ったシーンもそれを匂わせている。
※冒頭の海水浴場のシーン(先生と西洋人男性が二人で泳ぐくだり)を発展場と重ねるのは流石に勘繰りすぎな気もするので、ここまでにしておくけど…

漱石も千葉氏も東京大学卒(正確には漱石は帝国大学)って所は…まあ、わざわざ書かなくてもよいくらいの事なのかもしれないけど(笑)

ともあれ、高校時代の愛読書で、件のホモセクシャル(ソーシャル)論について新任の国語教師と激論を交わした思い出のあるこゝろ」を、「デッドライン」読了後、10年以上ぶりに手に取るほど、自分も学生時代の記憶を呼び起こされた読書体験だった。

【反省】
もっと端的に感想を書くはずが、思いのほか長文に(汗)
書き進めるにつれ、いろいろと書きたいことが次々と(これでも削った方)。
次はもっと整理して書きたいと思います。

う~ん、宿題の読書感想文が最初の2~3行で終わってた頃が懐かしい(笑)

【プロフィール】これからは武田
これからは武田

1986年東京都生まれ 
ライター/構成作家/LGBT+アドバイザー

LGBT+の「G」

お笑いライブ、トークライブ、イベント等の構成、裏方を務めつつ
2019年秋よりLGBT関連の執筆、セミナー、講演会等を始める

女装しない、オネェじゃないただのゲイ『タダゲイ』

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