森会長の発言の批判に見る「終わりの会」~何故オジサンは女性の話を長く感じるのか?

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森会長の発言の批判に見る「終わりの会」

 

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会、森喜朗会長の後任がそろそろ決まりそうなである。
果たして誰が、ということももちろん気になるのだが、予測や新会長への注文はその道の方にお任せをして

森氏の発言と、とりあえず一周したであろう批判と擁護合戦について考えてみました。

「女性が入っている理事会は時間がかかる」
(最初「会議」と報道があったが)

発言の切り取りだとか、解釈の違いだとか色々言われていたが、
前文を改めて、読んだが印象は変わらなかったし、
「開き直り」と揶揄された会見は、その通り「謝罪」と受け取った人はいなかったであろう
(あったとすれば、発言で騒動が起き「迷惑をかけた」ことに対してで)

ただ、その後の批判の大合唱には気持ち悪さを感じてしまった。
スポンサーや関係企業がしっかりと意見wや態度を表明してくれたところまではよかったが、

とりあえず全員に(森氏に批判的な)意見を言わそうとする風潮や
ここぞとばかりに「批判名簿」に名を連ねようと手を挙げる人の多さに気持ち悪さを覚えた。
勿論、世論が何かを突き動かすというのは正常な作用だし、そうあるべきだと思うけれど
この絵図は「民主主義が勝った改革」
ではなく
どう見ても
「小学校の『終わりの会』でのつるし上げ」でしかない

いつの時代からだろうか(今あるのかも、どういう呼び名が一般的かはわからないが)
生徒に自主性を持たせたり、積極的に発言をさせる、生徒間で問題を解決させるのが目的なのか
一日の最後「終わりの会」という学級裁判がホームルームに組み込まれていた。

その目的自体は賛成ではあるが、子供は大人が思っているより賢く、また単純である。
「スカート捲りをした」(たとえが古くてスマヌ)とか
「誰誰ちゃんを泣かせた」とか
「掃除の時間ふざけていたとか」
議題の的に誰かの名前が挙がると、勝ち馬に乗るがごとく次々と手があがる。
子どもながらに舌鋒は鋭く、本来関係のない事柄まで並べられてしまう。
児童は罪状大喜利に夢中で、本筋から外れていることになかなか気づかず
(弁護士はいないか立場が弱い)
裁判官である先生の登場は最後、悪事が一通りさらされてからなのだ。

子供たちの追及が鋭いのは、そんな大人を見ているからなのか
それとも、大人になっても変わらないのか分からないが

反省の色を見せない森君を、泣き出すまで攻め立てるクラスメイトは今も健在の様だ。

「いや、最初に素直に謝ればウチらだって、そこまで責めなかったし」
という声はごもっともである。

「撤回」とは何か?

脱線した話を戻すが・・・
まあ、森さんの後の対応も悪かった。
会見の内容もであるが、自分が注目したのは「撤回」でどうにかなると思っているところである。
「撤回」すればどうにかなるのは、日本の国会内くらいであり、
耳にしてしまった人の印象や、失念はぬぐえないし、
ましてや既に大々的に発信されてしまった海外メディアには何の効果もない。

もちろん、失言したら即アウトと言うつもりはない。
(森さんは前例がありすぎてそれどころではないのだが・・・)
間違った認識であったことに気づいたならそれを認めればいいし
何をどう改めるのか、理解を深めるようどう努力するのか述べればいい。

これが本来の謝罪であるのに、
先の会見では、撤回はするが考えを改めるつもりはない、
(むしろ、そちらの捉え方が悪いと言わんばかりであった。)
これでは吐いた言葉以上に、染みは広がってしまうだけだ。

「交渉に強い」とか「余人に代えがたい」という擁護の声や
「年齢からして問題を理解するのは難しい」という声もあったが
であればそういう役職についていただき、
海外メディアに注目されるような顔には、
(年齢関係なく)世間的な流れや関心事をアップデートでき
せめて(本心はは別としても)「これを言ったらまずい」と言うのが分かっている人物に就いていただきたい。
(残念ながら、川淵さんもそうではなかった)

 

何故一部のオジサマは「女性の話は長い」と感じるのか?

さて、もう一つ忘れてはならないのが
森さんの発言が会議で「ウケた」ということである。
立場的に、同調しようと愛想笑いもあっただろうが
やはり一定数の人間がそう「あるある」だと思っているということだ。

実際に統計を取ったわけではないが、そういう肌感覚を覚える人がいるのは理解できる。
ではなぜそう感じているのか。
それは、長らく男性が女性を会議の場から排除してきたからではないか。

再びで申し訳ないが、小学校の頃を思い出してほしい。
クラスで討論や話し合いといった場面になった時
女子は積極的手を挙げ発言し意見をぶつけていた。
しかしその頃、「女子の話は長い」と感じていただろうか。
頭の良い女子は舌鋒鋭く、意見を端的にまとめ、問題点をビシッと指摘していた。
(あくまでも自身の印象なんだけど)

しかしそれは、クラスが男女ほぼ同数だったからではないか。

男子は男子だけで集まっていた方が楽で、女子が混じったらやりずらい
(そのまたもしかり)というのは理解できる。
だがそれは、子供が作った秘密基地だったり
「スタンドバイミー」に女子がいたら成立しないし
「ストレンジャーシングス」で女子の介入にに序盤戸惑っていたのが良い例で)
成長して、部室だったり、酒の席でも同じ現象がみられる。
(その一方「女性」が介在しない飲み会を求めてやまない性質もある。
その場合、目的がまたべつなのだが・・・)

それを長らく、会議の場でもやってしまっていたのだ。

「日本人は空気を読む」と言うが、正しくは「日本人男性は」であろう
(くくるつもりはないが、上記のような会議に居た人たちは往々にして)

空気を読み、徒党を組み、忖度し(これはこれで大分偏見もあるのだけどネ)・・・そりゃ会議は早く終わるだろう
(そのくせ、会議をするのは好きで、決まりそうもないことを長々と議題にかけるのは好きなんだ。ヘンな人種だネ)

しかしそこに女性がいるとそうはいかない。
今までなかったチェック機能がが働き、スルーされてきた議題を
もう一度机の上に出すのだ。
(もちろん長いものに巻かれろって人もいるだろうけど)

するとオジサンたちの鉄の結束が乱れてしまう
それが嫌だから女性を排除する・・・という構図で

そりゃ、本来の時間のかけ方をしたら、それまでよりは長く感じるし
女性だって、早く終わらせたい人には少数で立ち向かっていくんだから何とか聞く耳持たせようと話が長くなることもありますさ。
(聞きたくないから、長く聞こえるってのもあるかも。)

「男脳」「女脳」・・・って言うと「そんなものはない!」っていう人に怒られそうだけど
会議室の中だけで、「そこはまあ、話さなくても分かるよね」ってことが
実際その場にいる全員分かっているのか?会議室の外に出たときに全員に伝わるのか?男にしか伝わらない理屈じゃないか?そもそも本人も理解してない部分があるんじゃないか?

どうせ会議室の外に出たら、同数いるんだから
会議が正しく機能する為にも、小学校の頃のように
やはり男女同数くらいの比率にしてくんないと、とは思うワケです。

もしくは、これはとあるミステリー漫画からの受け売りなんだけど

男と女と、もう1つ別の思考回路の種族が同じ配分でいて
(中性とかLGBTとかそういう話でなく)
男性を見張れたり、少数の女性が取り込まれるのを防ぐ存在がいたらいいのに…

っていうのがあって(うまく説明できてるかわからないけど)
これを思い出して思ったのが

「女性が意見を言いずらい社会」
じゃなくて
「少数派が意見を言いずらい社会」
なんだなと

女性の中に一人だけ男がいたら意見は言いずらいだろうし
(ちなみに自身は高校生の時所属していた部活が、自分以外全員女子という時代を経験)
社会全体から見たLGBT+の構図も同様かもしれない。

さっき、男性と女性を(会議の場で)同数にすることが…と言ったけれど
仮に同数じゃなく少数でも
意見を言える(長いと揶揄されずに)場や空気でなければいけないな

作中では中性とかそういうのではなくって意味だったけど
異なった思考回路であるなれば、それを押し出す存在でありたいな、と

いやいや、ふたを開いたら案外自分も会議室の旧態依然のオジサン脳かもしれないし

日々アップデート出来るよう心掛けたい今日この頃。

 

追記

イラストにある「鉄拐」は落語の演目。

亡くなった談志師匠がよく演ってたなぁ。

 

【プロフィール】これからは武田
これからは武田

1986年東京都生まれ 
ライター/構成作家/LGBT+アドバイザー

LGBT+の「G」

お笑いライブ、トークライブ、イベント等の構成、裏方を務めつつ
2019年秋よりLGBT関連の執筆、セミナー、講演会等を始める

女装しない、オネェじゃないただのゲイ『タダゲイ』

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